【第360話】経営を伸ばす上手な理念の掲げ方

「〇〇な社会をつくりたい」とメディアで語る“彼”を拝見しました。とあるビジネスプレゼンの場で“彼”とお会いしたのはもう6年ほど前になります。

 

当時から〇〇…と仰っていましたので、それ自体を貫かれていることは素晴らしことと感銘を受けました。

 

一方、お会いした当時を思い出すと、強くお伝えしたことがあります。それは、自社のビジネス、技術、スキル…といった視点から、もう少し具体的な理念を掲げることをお奨めしたことです。

 

その理由はとてもシンプルです。掲げる理念がとても高いところまで行ってしまうと、もはや“彼”でなくても、誰が言っても同じになってしまうからです。

 

さらに言えば、その高い理念を目指していくためであれば、ビジネスは何でも良い…という逆説的なことが起こってしまうからです。

 

このように具体的な手段が欠落した理念は、いくら素晴らしかったといえども、絵にかいた餅でしかないことは明らかです。

 

我々経営者は、自社の本業の立場からお客様への貢献を通じて、世の中の進歩発展を目指しています。この本業の意識が抜けたまま、崇高な理念を語ればどうなるかということです。

 

こういった具体的な本業の視点がなかったならば、それは事業家ではなくて活動家だということです。経営者は、採算を創らなければならなりません。募金を集めて“素晴らしい活動”をしているのではないのです。

 

実際、“彼”の会社、人づてに聞けば、立派な理念とは裏腹に低空飛行が続いています。事業家として実行者であろうとするならば、目的手段の関係を間違えてはなりません。

 

例えば、東京オリンピックの大会ビジョン「スポーツには世界と未来を変える力がある。」の下で示された3つのコンセプトのうち、話題に上ることの多い「多様性と調和」は素晴らしいことです。

 

しかし、こういった高いビジョン、崇高な理念が掲げられることによって、どうなるかということを考えて欲しいのです。

 

それは、「スポーツはそのための手段になってしまう」ということです。本来、オリンピックで大切にすべき目的はスポーツの素晴らしさ、スポーツそのものの意義のはずです。

 

しかし、その意義を著しく超えた理念が示されたならば、スポーツの意義が薄れ、スポーツが理念達成のための手段になってしまうということが起こり得るのです。

 

仮に、国際オリンピック委員会が「多様性と調和」というまでは許容されたとして、ここで例えば、高等学校野球連盟が「多様性と調和」といったらどうでしょうか。

 

もはや学生野球はそのための手段でしかないことになってしまう…という感じがお分かりいただけるものと思います。

 

ここで学生野球憲章が生きてくるのは、「学生野球」という具体的な手段が入っていることが要になっていることが分かります。

 

あるいは同様に、SONYの設立趣意書で有名な一節、「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」も“理想工場”というモノづくりの立場から書かれています。

 

このように、野球連盟は“学生野球”を通じて青少年の友情、連帯フェアプレーの精神を育成し、SONYは“理想工場の建設”を通じて、戦後の日本復興に貢献しています。

 

そういう意味で、企業に意志を宿し、豊かな成長発展をもたらすような理念とは、その立場、視点、商品サービスといった具体的な手段を伴って、その先、未来を見据えていることが欠かせないのです。

 

高すぎる理念を叫ぶことは、時にご自身に具体的な手段という根が生えていないことを叫んでしまっているかもしれないことをお忘れなく。

 

御社の理念は具体的な“手段”を伴っていますか?

その理念は、“手段”の先に在りますか?

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