【第281話】伸びる経営計画を描くための第一ボタンの掛け方
「来年度の経営計画をまとめたので、各部と最終調整に入ったのですが…」となってから、十里の道も九里が半ば…とは良く言ったもので、ここからが大変だったりします。
ちなみに、経営計画は、経営側から従業員への業務依頼であると同時に、経営者として株主へ宣言することでもあります。
経営計画は、単に経営環境を分析して、そこから見えてきた必要性に応じて「こういったことをやっていきます」という行動の計画であれば、「やれるかやれないか」ですから、それほど調整は難しくないでしょう。
ところが、事業の経営とは結果を求められることです。この結果とは、すなわち一言でいうならば数字であり、行動だけでなく結果まで宣言して約束するとなれば、経営計画としてどこまで言えるのか…といったことで、誠意をもってしても立場間で綱引きが生まれてしまうのも致し方ないことです。
当然のことながら、経営計画とは未来のことを計画しています。これは、誰にも分からない不確実な領域に踏み込んで計画を立てていることを意味しています。
つまり、経営計画は、約束しきれない領域に踏み込んで、実施するという行動に留まらず、結果に対して宣言していかなければならないという難しさを抱えています。
昨今、こういった不確実な未来に対する宣言の仕方として、世界を変える、日本を元気に、古い仕組みをぶっ壊す…、こういったイノベーションを錦の御旗に掲げる宣言を耳にする機会が増えてきました。
あるいは、SDGs、地域活性化、震災復興、雇用創出…といった社会課題を掲げる宣言も増えています。
当然のことながら、事業の経営にあたって、大義、目的、使命といったことは極めて大切です。ところが、事業の大義を「誰も反対しようがない」レベルにまで引き上げることで、ステークホルダー間の綱引きを避けようとするような手法が横行し始めました。
これはある意味、目標であるはずの結果を、すぐには達成しえない企業の存在意義や目的とすり替え、今もまだ挑戦途上にあるとすることで、負けを延期している状況といえます。
単純に、「経営を計画するにあたって、目的意義の設定とはこうやるもんだ」といった表面的な理解で、真似している程度であれば、どこか可愛げがあります。
ところが、経営者として疲れてしまって、負けを認めず延期するために意図的に使っているとしたならば…、ということです。
実のところ、「私たちは、もっと崇高な目的のために働いている。数字なんかでは測れない世界を生きている」といいながら、経営が負け始めていることは重々、お分かりなのです。だから、本質的な勝負を避けて、そんなテクニックに走ってしまうのです。
この経営計画が、テクニックに走っているか、あるいは本気の叫びなのかは、ある一点から見て取ることができます。
その一点とは、「世の中を下から、現場から担おうとしている」という意識です。情熱ある経営者は、ご自身が実践者であるという立場を降りようとはしません。
そのため、仕事の大義も、ご自分の言葉で語られることで地に足が着いていて、ただ単に立派なだけの大義を掲げることはありません。
その反対に、大義を目指すことにどこか疲れてしまった経営者ほど、活動家的な上から目線で妙に立派な大義を語ります。これは、負け始めの諸症状といえることです。
「当社は素晴らしいことをやっている」、「世の中のために頑張っている」、「立派でしょ」といったことの後に、「だからみんなで…」と続くのは、協力を仰ごうとしているからに他なりません。上から目線の叫びの正体は、疲れたから助けてくれというSOSなのです。
経営者として情熱を保とうとするならば、実践者として地に足のついた大義を掲げることが大切です。そうであるならば、大義は本気で目指せる範囲にとどめ、むしろその実践度として、高い目標数字を掲げていく意識が大切です。
経営の大義は、自分の言葉で地に足の着いたものになっていますか?
反対に経営の数字目標はしっかりと高くなっていますか?