【第280話】お客様に信用される経営が放つ本物の匂い

「昨夜はなかなか寝付けませんでした」、「緊張してきました」、「怖くなってきました」…。新事業の立ち上げにあたり初期ロットの仕入れをしたり、新製品のプロトタイプをテストしたり、新商品・新サービスの販売を開始して最初のお客様にお会いしたりといった際、言葉にしなかったとしても、そういった緊張感、一種の怖さが漂います。

 

徒手空拳の経営者、百戦錬磨のプロジェクトリーダー、責任感の芽生えた中堅スタッフ…、プロフェッショナルなビジネスマンが背負うプレッシャーとは、慣れで克服できるようなものではありません。

 

その理由はとても簡単です。なぜならば、成長に伴って、その成長を超えるかのごとく、どんどんと背負う責任も大きくなっていくからです。

 

責任というと何やら実体のつかみにくい概念ですが、経営者、責任者という立場から責任ということを考えるならば、ご自身の仕事、判断に伴うお客様、従業員、債権者、株主…、「影響する人数」という数量が責任感の現れです。

 

特に、個人をお客様とするビジネスよりも法人をお客様とするビジネスの場合、一つの取引の責任単位が大きくなりますので、その責任、影響度といったことも大きくなります。

 

ビジネスとは「お客様活動」であるという極めて根源的なことに基くならば、ビジネスの本物感、プロフェッショナル感というのは、業種業態、取扱い商品、伝統といったことに依らず、結局のところ「本物のお客様とお仕事をしているか」というところに帰着します。

 

ここで、“本物のお客様”とは、お客様自体がビジネスの本質を理解されていて、そのことについて価値判断能力を有していているような、オピニオンリーダーなお客様ということです。

 

これを言い換えると、このお客様に認められたならば、それがビジネス成功の瞬間であり、プロフェッショナル領域に入った証ということです。

 

このように、ビジネスの成功というのが“本物のお客様”に認めていただくという挑戦的な取り組みであるのに対して、ビジネスがどこか普及啓蒙活動的で、価値の分からない素人なお客様に向いているケースもお見受けします。

 

本物のお客様に向いているのか、あるいは、素人なお客様に向いているのか…、その違いは、そのビジネスに対する思い入れの違いとなって現れます。本物のお客様は、その匂いを嗅ぎ分けます。その嗅ぎ分けの基準となるのが、能力向上に対する先行努力の程度の違いです。

 

本物のお客様を向いているビジネスも、素人のお客様を向いているビジネスも表面的には、同じような主張を叫ぶものです。ところが、その違い、本物の匂いは決定的に違います。

 

当然のことながら、本物のお客様に向いているビジネスというのは、自分たちが取り組むべきことかどうかという使命感、責任感に基いています。

 

このため、儲かるか儲からないかはあくまでも将来的な結果論であって、その前に自分たちがやるべきことかどうかという判断軸があるのです。

 

つまり、道、人生、生き方…といったレベルで先行的な努力が払われているために本物感が漂うのです。

 

経営の本物感とは、“一筋”という業種業態的なことだけではなくて、その責任分野に対して努力投資をしてきた、犠牲を払ってきたことに対する敬意の現れなのです。

 

一方、儲かるかもしれないというテーマ感覚で取り組んでいる経営というのは、なんやかんやと立派な主張が後付け的に述べられますが、結果的に素人なお客様を相手にせざるを得ない構図にあります。

 

なぜならば、こういった経営意識というのは、先行的な努力犠牲を最小限にすることでリターンを最大化しようとするため、いつまでも能力が育たず、お付き合いするお客様も素人…。いつまでも叫びだけは立派な「素人の素人による素人のための経営」になってしまうのです。

 

この思考回路にいる限り、どれだけ時間を費やしたとしても素人相手の素人経営であり、本物相手の本物経営というレベル、本質的な成功ステージに登ることができないというメカニズムを理解しておくことが大切です。

 

経営を「〇〇道」として責任と共に歩みを進めていますか?

犠牲的努力に先行投資し、リターンの定義を“本物のお客様”としていますか?

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