【第411話】名経営者からの教え、「考えよ」について考える。
「ウチの経営が〇〇ビジネススクールのケーススタディになりまして…」と社長は嬉しそうにご紹介くださいました。
こちらの社長、ご自身の創業で情熱を注ぎビジネスを大きく成長させておられます。一方、その実績とは裏腹にとても勉強家、その謙虚な姿勢に頭が下がります。
なぜ、ご自身の経営がケーススタディになったことで、社長が嬉しそうにされているのか…という点は、実に注目すべき理由があります。
それは、経営を学ぶ上でケーススタディがどういう役割を担っているかということです。
ところでその前に、「経営を学ぶ」ということの中には大きく二つの要素があります。それは「考え方」と「やり方」です。
ケーススタディは、この二大要素のうちどちらかと言えば「考え方」を学ぶものであり、どのように考えてそうした結論に至ったのかという経営者の思考をケースを通じてなぞることで学びを深めていくことを狙っています。
そういう意味で、前述の社長が嬉しそうにされていたのは、ご自身の経営がケーススタディになったということが、単に一定の成功に至っているということよりも、むしろその考え方が伝えるに値するものだと認識されていることなのです。
二流は「やり方」を、一流は「考え方」をなぞろうとする…と言われます。当然のことながら、この意識の違いが、そのまま経営に現れます。
ご自身で考えようとしている経営者は、先人の成功を再現するために、その「考え方」を学んで、ご自身独自の答えを出そうとされます。
一方、ご自身で考えようとしていない経営者は、単に「何をやれば良いんだ」と、答えだけを求めようとします。
また、こうした伝えるべき考え方にも文化によって違いがあります。
例えば、アメリカであれば「財をなした」ということがアメリカンドリームであり、これが一つの目標とされます。
このため、鉄鋼や石油で財を成した方の、世論や人の動かし方といったことが伝えられます。これは思考法という意味で確かに「考え方」ではあるのかもしれませんが、財の成し方と見れば限りなく「やり方」に近いことといえるでしょう。
一方、日本では、松下幸之助、本田宗一郎、稲盛和夫…、名経営者と呼ばれる方々は、商人道、人生心得、哲学…、生き方や働き方といった「考え方」を語られています。
大切なことなので補足すれば、自社として大切にすべき「考え方」を徹底して考えてきたということです。
少し言い方を変えれば、これは自社の従業員にも求める考え方であり、実のところ人財育成の本質でもあります。
経営塾で稲盛和夫氏から頂いた教えは、一言でいえば「考えよ」でした。経営者の仕事とは考えることであり、そのために訓練すべきことは「考え方」であることは明らかです。
このことを前提とすれば、商いの大きさなどよりも、例え小さかったとしても、その考え方、哲学の強さが、その経営の強さと言えるでしょう。
やり方レベルで経営しているのか、あるいは考え方レベルで経営しているのか…。日本に老舗の企業が多いのは、こうした「考え方」が大切に伝承されているということです。
それは、その哲学の徹底度、従業員にもその考え方を求め、それを説き続けるという地道な人財育成への取組み度合いから見てとれるでしょう。
経営者として、自社の存続発展を願うならば、そのために伝承すべき哲学、大切な仕事観、社風とも呼べるような、目に見えないところの強さを培っていくことが大切です。
この意味で、経営は自由であってはなりません。経営者は自らに「考え方」という制約を課し、従業員にもそれを浸透順守させるべく努めることが、人を育てることにつながります。
経営の本質は「考え方」であると考えていますか?
経営計画は考え方に対する姿勢になっていますか?