【第291話】困難にあって勇気を振り絞ることができる経営者の絶対条件

「飲むと気持ちがやさしくなれるようなお酒を造りたいんです」という思いで、林檎づくり、葡萄づくりというやっかいで面倒なことにまでこだわって、ご家族総出で頑張っておられるワイナリーがあります。

 

コロナ禍にあって、飲食店の営業自粛で卸売が滞る一方、外出自粛による家飲みの増加で、ネット直販には多くの注文が入ります。

 

このように、どのような業種業態にあっても甚大な影響を受けている状況ですが、なるほど、そうなの、こうなるか…など、これまで因果関係として認識してこなかったようなことが次々と起こっていて、商売の不思議さ、奥深さを思い知らされます。

 

そんな中にあって、政府や専門家会議の判断が次なるフェーズへと移行しました。大方の理解としては、仕方ない、妥当との認識はありつつも、多くの人が失望、怒りにも似た感情を覚えています。

 

その理由はシンプルです。国や専門家会議が考えている目標と、我々が思っていた目標とが相当に乖離していたということが明らかになったからです。

 

何のために今我慢しているのか、頑張っているのか…、その先に描いている絵姿が全く違っていた…、このことが大きな失意を生むことになっています。

 

一般に、行政機関の目標は、顕在化した問題状況を解決することに置かれます。当然のことながら、必要だとの判断があってそこに税金が投下されるからです。

 

このため、税金の投下で目指す状況とは、この状況を収めることにあります。冷静に考えれば、これも至極当然のことと理解できます。ところが、我々は、どうしてもその先、以前のような暮らし、もっと豊かで明るい未来を描いてしまいます。

 

このギャップが失意の原因ですが、政府や専門家のお仕事、目標設定の置き所がこういうものだと理解できれば、役割をこなしておられると納得することもできます。

 

ここで大切なのは、税金の投下でできる範囲と、その先にある豊かな未来を描き実現していく範囲というのは、違うということです。その先は、自分たちで実現していくべきことです。

 

これこそが、民の力であって、科学的な根拠や拠って立つデータなどなくても、立法や活動予算がなくても、自らの在りたい姿、理想を描き、その実現に向けて勝手に努力して、誰の承認を得ずとも自由に目指して良いのです。

 

このことは、経営者の舵取りに大きな指針を与えてくれます。経営者みずからの描く理想に向かって歩めと背中を押してくれます。

 

つまり、これからはコレが売れそうだ…といった分析的なことで経営の舵取りを進めていく経営者と、ご自身の描く理想を更新し、この理想に向かって歩みを進めていこうとする経営者に分かれるということです。今はこれからの歩みを決定的に二分する分水嶺にいるんだということを心しておくことが大切です。

 

いつしか、企業のIRレポートがCSRレポートに変わった頃から、経営が試験対策的になっていきました。

 

誰か第三者が、企業を評価する勝手な試験問題を打ち立てて出題者となり、企業はこの試験に最初のうちは「どうせ本質ではないから」と試験対策的に回答しているうちに、結局、ミイラ取りがミイラになってしまいました。この傾向は、CSRからSDGsといったことに受け継がれ、より壮大になっています。

 

大抵の場合、文系と理系で目標や理想に対する認識理解が大きく異なります。文系は、高い目標を掲げ、その実現は人々の間でどれだけ共有化できるかに懸かっていると考えます。

 

一方、理系は、高い目標の実現は新たなテクノロジーの開発なしでは実現し得ないと考えます。よって、実現手段の見当もついていないような異常に高い目標設定に対して無責任とさえ感じるため、言及する範囲が限定的になりがちです。

 

少し話は逸れましたが、そういったバックボーンによる考え方の違いも理解した上で、今最も大切なことは、御社独自の試験対策ではない理想を掲げることです。この理想が、震える足に一歩踏み出す勇気を与えてくれます。決して、どこかの誰かに掲げられた目標に共感賛同しますと同乗を宣言することではありません。

 

今こそ、御社の目指す“理想”を更新しませんか?

より強く、気高く、ご自身の“理想”を掲げ直しませんか?

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