【第255話】独立自尊の成長発展を歩むための出発点
「どうしてこうも最近の若い人は非営利な活動をやりたがるんでしょうか?」と某社長が不思議そうに。またこうも続きます。入社希望の若者との面談では、「御社の仕事を手伝いたい」という言葉に違和感を覚えるとのこと。
こう聞くと、「この社長は儲け主義のカネの亡者か」とお感じかもしれませんが、その真逆です。「おカネのために働いたことはない」と仰いますし、実際、日々の経営ではオリジナルな商品を生み出すことで世の中に貢献されていますし、損得度外視で地域や子供たちのために尽力されている言行一致の方です。
前述の違和感が生まれる理由は実にシンプルです。考えだけ立派で実行力を伴っていないからです。
前述の若者は、応援したい、賛同している、共感できる…と、同社の経営を理解してくれています。それは大変嬉しいことなのですが、それは、彼側がどんなテーマに取り組むか、どの船に乗るかを決めただけのことであって、同社で自分に何ができるか、どんな貢献ができるか、実務が実行できるのかという自身の能力の問題をすっかりと見落としています。
実はこの傾向、昨今の若い経営者にもいえることです。経営者にとって、「“考え”が立派」であることは素晴らしいことですが、「“考え”だけ立派」であっても仕方ありません。
経営者は経済活動のプレイヤーです。立派な“考え”を持っていることは大切ですが、プレイヤーである以上、その実行にこそ存在価値があります。そして、経営者の苦悩の多くもこの実行に関わるものです。
経営者の仕事は「考えること」と「実行すること」が両輪となっています。思考し実践する。これで一つの単位です。
特に、考える仕事の中で大切なのが、目指す理想を描いていくことですが、それを目指す以上、その理想と現実の狭間で、常に実行できない自分・自社と苦悩し続けていくことになるものです。
つまり、大いなる理想を掲げて、「自分は立派な考えの持ち主だ」とゴキゲンになっているようでは、理想を掲げることの何たるかを分かっていないと言わざるを得ません。
昨今、経営者が掲げる理想が、画一的で独自性が乏しくなっています。国や政治が掲げるテーマ、国連が掲げるテーマ、社会課題のテーマ、そういったことに「私も、それやりま~す」とばかりに手を上げるような理想の掲げ方が目に付きます。
ちょっと考えれば分かることですが、目指す理想が、他人が描いたものであるならば、存在価値は考えることになく、その実行の請負人でしかないということです。
これは言い換えるならば、例え企業や団体を動かしていたとしても、片輪走行ですから、本物の経営者とは呼べないということです。
「これは“便乗”ではなくて“賛同”だ」といった声が聞こえてきそうです。そうであるならば、なおさらそのテーマを自分なりに解釈して、自分の言葉として理想を掲げ、自社らしい実行策を苦悩覚悟で語るべきです。
改めてお伝えすれば、経営者はプレイヤーである以上、理想を掲げるだけでなくその実行を担う存在です。具体的な実行を果たしていくことが存在意義であり、単に理想を語るだけの役割ではありません。
掲げた理想が他人のものであることは、外から見て簡単に分かります。営業活動が普及啓蒙活動的だからです。他人の描いた理想を自分も一緒になって実現していこうという主体性を欠いた心理状態から、営業が普及啓蒙になってしまうのです。
ご自身で目指す理想を描かない限り、それは他人の創ったビジネスに便乗しているにすぎません。独立自尊の経営を実現しようとするならば、目指す理想をご自身で掲げることが不可欠であり、それこそが出発点でもあります。
この意味で、経営者の戦いとは、自分で掲げた理想実現との闘いであって、決して競合他社とのものではないのです。
自社の理想をご自身の言葉で語れていますか?
営業が普及啓蒙活動になってしまっていませんか?