【第227話】理路整然と間違う経営者の共通点

社長のお話には、真剣であるからこその面白さがあり、そして不思議なほどに人間味があります。特に、経営を伸ばしておられる社長にあっては、「今があるのはあの時のおかげ」といった、いわゆる物事の転機を認識されていることも共通します。

 

これは、いわばウォルト・ディズニーの「一匹のねずみから始まった」のような、出発点とも呼ぶべき出来事、決断、閃き…といったことです。

 

そして、ガラガラとした毎日にありながら、くたびれることなく「そこに立っている感」、「ど真ん中に居る感」、「前に進もうとしている感」がヒシヒシと漂います。良くも悪くも主体的で、自分の道を歩んでいるからこその豪傑な魅力があります。

 

仕事柄、多くの経営者とお会いして、こういったお話をお聞きするのは大好物、鳥肌が立つようなこともあり、楽しみでなりません。

 

一方、お話をお伺いしていたり、事業計画を拝見していたりといった中で、仰っていることは理路整然としていて、分析して整理されていて、論理的…、なのに、違和感といいますか、何かが足りてないと感じる経営者にお会いすることが増えてきたように感じます。

 

例えば、そういった経営者の主張は、「魅力を知ってもらいたい」、「良さを広めたい」、「場をつくりたい」といったことです。

 

何というのでしょうか…、仰っていることは立派でもありその通りなのですが、決定的に何かが足りません。

 

こういった違和感をたどると分かるのは、発想が第三者的だということです。プレイヤー意識に乏しく、気分がコーディネーターなのです。自分が何かを作ったり、売ったりする…というビジネスの主体を担うことではなくて、そういった人たちを第三者的に“手伝う”と言っているに過ぎないのです。

 

確かに、そういった“お手伝い”もビジネスではあるのですが、この発想にはビジネスに対する根本的な誤解があります。

 

それはどんな誤解かといえば、「自分たちだけ弾の飛んでこないところに居よう」としていることです。弾の飛んでこないところから“手伝う”と言っているのです。

 

端的に申し上げれば、そういった守られた立ち位置というのは、ビジネスにおいて、特に経営者には存在しません。経営者というのは、そもそもリスクを負っている存在なのです。

 

それなのに、弾の飛んでこないところから“手伝う”と宣言するということは、弾の飛んでくる「作る」「売る」の最前線で頑張っている人たちに「すがろう」としているだけなのですが、そうは言えないので“手伝う”と言っているに過ぎません。

 

理路整然としているはずです。なぜならば、その“お手伝い”が対象としている問題は既に顕在化していて明らかですし、その問題を抱えている相手も明らかだからです。これはある意味、「もう明らかなビジネスチャンス」であり「もう見えている顧客」なのですから、理路整然としているはずなのです。

 

しかし、これが明らかだからといってビジネスとして成立するかと言われれば、難しいことです。「お使いしてくるからお駄賃ちょうだい」は、子供の頃にしか通用しないことだからです。大人が、しかも経営者が同じことを言ったらどうなるか…ということです。

 

経営者というのは、リスクを負ってビジネスの土俵に立つものです。たとえ、従業員を指揮する立場であったとしても、観客でないことはもちろんのこと、世の中というレベルで見れば、監督というよりも限りなく選手、プレイヤーなのです。

 

リスクを負うということは、まだ見えぬ事業機会を探求することであり、それに賭けることです。そして、その賭けから得られる果実は弾の飛んでくる最前線に“実る”ものです。そこまで取りにいく覚悟が絶対的に不可欠です。

 

理路整然と「安全な“お手伝い”」を考えているようでは、それは子供の「お使い」であって、残念ながら大人の仕事ではありません。他人を利することで自分が活かされる大人の世界にあって、自分だけ弾の飛んでこないところ…と考えている限り、どんなに立派に理路整然とビジネスの必要性を説いたところで、それは「お使い」でしかないのです。

 

そのビジネスは、立派そうに聞こえるだけの「お使い」ではありませんか?

リスクを負って最前線に立つ覚悟ができていますか?

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