【第345話】本物と偽物を分かつ経営意識の違い
「被災地に事業場を作って、そこで〇〇の仕事を始めました」という、若い経営者の顔は素晴らしいことをしているだろうと言わんばかり、まさにドヤ顔です。
新たな事業を立ち上げる意気込みは素晴らしいことです。ところが、この考え方、アプローチの場合、なかなか事業が軌道に乗らない、飛び立たないことにつながる原因を抱えているため、そのことについてお伝えしました。
それは何かというと、「働く」つもりなのか、あるいは「働いてあげる」つもりなのかという経営者としての意識の違いです。
大切なことなのでもう少し補足すれば、経営者には「主体性が大切」などといわれます。ところが、具体的に経営者の主体性とはどのように発揮されるのか…といわれると、なかなか説明に窮するところがあります。
様々な場面によって主体性の現れ方は違ってきますが、こと新事業の立ち上げ、新分野への進出、新製品の開発といった場合、主体性の強度が「働く」と「働いてあげる」に現れます。
まず、新事業に取り組むということについて自ら手を挙げているという点からいうと、一見、主体性は発揮されているように見えます。
このため、前述のお話は「素晴らしい」と言いたくなるところなのですが、この主体性の発揮の仕方は実に大きな問題を抱えているのです。
それはともかくとして、仕事を創るのが経営者の仕事であるならば、そこで発揮されるべき主体性は自然に考えて「働く」のはずです。そのため、「働いてあげる」に違和感を覚えるのですが、そこにはちゃんと理由があります。
実のところ、「働いてあげる」という主体性の発揮は、行動・活動レベルに対するものなのです。すでに顕在化した課題があって、それに「対応してあげる」、「取り扱ってあげる」、「やってあげる」といっているのです。
言い換えるならば、「働いてあげる」は、テストで「この3つの問題から1つを選んで答えよ」で、「出された問題からそれを選んだだけ」なのです。出題されたテーマから事業を選んだだけで、そもそもの事業の起点に主体性がないのです。
ちなみに、従業員の多くは「働いてあげる」と考えているといわれます。このことから考えるならば、経営者の意識が「働いてあげる」であったならば、それは従業員的な意識であり、法律上の立場が代表取締役であったとしてもその正体は従業員なのです。
このため、事業の起点を自社で握れておらず、本当の意味で飛び立たつことができないのです。
一方、「働く」意識の経営者は、事業の起点に主体性を持ちます。外部環境の分析から導かれた事業の中からテーマ選びのようなことで取組みを決めるのではなく、例え難しくとも自社がやるべき仕事に賭けています。
このような構図から、「働いてあげる」意識の経営は能力が高くとも低収益にあえぎ、「働く」意識の経営は、例え今の能力がそれほどではなかったとしても、そこからびっくりするような成長と高収益といったことが起こります。
ここで話を戻せば、「働いてあげる」は「働かなくてもいいんだけど」という働かないことへの選択肢や、「この仕事で働かなくてもいい」という他への逃げ道が含まれています。
一方、「働く」には、働くことへの美徳、働き続けることへの執着、働くことへの必死さが匂います。まだまだ、もっと…、今よりも未来へと、そこに賭けるハングリーさがあります。
経営において主体性とは、自ら働こうとする意志から生まれるものです。その起点に迷いや逃げがあってはならないのです。
経営者の強さは「働く」ことに対する主体性の強さであり、これが経営を本物にしていきます。反対に「働いてあげる」といった程度の主体性であれば、結果は自ずと知れています。本物の経営者を見ていると分かります。それは「生き方」であり「手段」ではないのです。
「働く」に美徳を持っていますか?
本気で主体性を出して経営を「生き方」にしていきませんか?