【第454話】経営の美意識と投資ファイナンス戦略
「この工程は、以前、人の手でやっていまして、とても大変だったんです。念願だったこの機械を導入して、ずいぶん楽になりました」と社長。
社長自ら工場内をご案内いただき、現場への理解の深さに、叩き上げ…の強さが感じられます。
こうした、人の手でやっていたことを機械化することで、生産効率を高めていこうという設備投資は、昭和の時代、産業構造の改革、生産性を高めていく投資という意味で「高度化」と呼ばれ、設備投資の目指すべき方向性とされていました。
無論、こうした生産性向上のための投資というものは、経営の存続発展の過程にあって、絶対的に必要なことであることは言うまでもありません。
こうした設備投資が成長発展をもたらす一方、仇となって経営が傾くことがあることもまた事実。
栄枯盛衰の経営の世界、こうした“結果論”でどうのこうのというのは無粋と承知の上で、歴史から何を学びこれからに活かしていくのか…、後戻りができない渾身の投資シーンではとても大切なことです。
改めて状況を確認すれば、「必要な投資だったはずなのに、それで失敗する」ということがあり得るということです。
一見、同じような設備投資であっても、A社は成長発展の道を歩み、B社は苦戦の引き金を引いてしまう…。
なぜこうした違いが生まれてしまうのかといえば、設備投資の前提意識が異なることに起因します。
昭和の時代、市場が伸びている「足りない時代」が前提であれば、設備投資で生産性を高めることで、生産数量を高め販売数量を伸ばすこともできますし、生産数量が伸びることで生産の平均コストも下がり、収益性も高まる…という文脈が成り立ちました。
大切な点なので補足すれば、こうした生産側の改善がコスト競争力を強化し、延いては収益性の向上、経営の成長発展につながったのは、成長する市場のリードがあったからに他なりません。
一方、経済が成熟した時代、「足りてる時代」を前提とすれば、設備投資に求められることも違ってくることは明らかでしょう。
つまり、設備投資によって、コスト効率、生産性…といったことが向上することのみならず、新たな商品、あるいは既存商品の付加価値向上といったことが加わらない限り、投資回収はおぼつかないことはお分かりいただけるものと思います。
要約すれば、コスト節減への投資か、付加価値向上への投資か…の違いです。設備投資の時点で、どこまでの意識を持って計画できたかが勝負の分かれ目になり得ます。
事業経営において、設備投資は「伸るか反るか」のギャンブルではありません。あるいは、リスクを取るというのも「危ない橋を渡る」のとは違います。
事業経営において、設備投資とは、不退転の決意表明であり、同時に勝算ある勝負であることが大切です。
設備投資を単なるギャンブルにしないためには、投資回収、投資がリターンを生む構造設計が欠かせません。
確かに設備投資で、ある程度の売上を買うことはできます。しかし、利益を買うことはできないのです。
設備投資の回収は利益からなされるものです。設備投資で削減できるコストなのか、設備投資によって新たに生まれる付加価値なのか…。投資回収の利益の生み方には根本的な違いがあります。
設備投資時点で、コスト削減よりも新たな付加価値を目指している意識が大切です。そこから生まれるカラフルで美しい利益を描くことが大切です。
「足りてる時代」の設備投資になっていますか?
コスト削減よりも付加価値向上を描いていますか?