【第288話】困難にあって真価が問われる経営の哲学
「来てください…、と言えないのが辛い」、ある旅館の経営者からは切実な思いがこぼれます。
またとある友人経営者の飲食店は、国や自治体の号令を待たず、営業自粛という辛い判断を自ら下しているところもあります。
営業を一旦止める方向の経営がある一方、インフラや工場などでは絶対に止めないことに向けて緊張感ある取り組みが続けられています。
こういった判断というのは、どちらを選んだとしても正解があるようなものではありませんし、逆から言えば、どんな判断に至ったとしても、いずれ文句を言う人が出ます。
当然なのです。誰も望まぬ困難な事態なのですから、そのこと自体に不満があるのです。よって、どんな判断をしても、何をやっても必ず文句が出てきます。
今、我々が置かれた局面というのは、ウィルスからの先制攻撃にあって、被害を最小限に留めるための防衛策、その先を生き抜いていくための延命策への対処です。
そしてさらに辛いのが、経営者に与えられているシンキングタイムがほとんどないということです。ある意味で、即座に判断が求められます。
このように、ご自身で判断を下していく経営者がいる一方、「休業と補償はセットだ」などとご自身の経営判断を外部に委ねようとするような方もいらっしゃいます。
つまり、「東京都の要請を受けて営業を自粛しています」という張り紙は、一見、同じであっても、その中身…、ご自身で判断しているのか、あるいは人から言われてやっているのか、はまるで違うのです。
当然のことながら、その先を生き抜く経営がどちらなのか…ということです。
困難にあって、経営者、リーダーとして自ら判断を下し、あまねく文句を飲み込もうとするのか。あるいは、国の、東京都の…と他者の判断のせいにするのか。
この大いなる違いがなぜ生まれてしまうのかといえば、それは経営における“哲学”の有無です。
予め申し上げておくならば、経営者という独立自尊の道を歩んでいれば、成果も自責ならばリスクも自責です。判断を他者に委ねているようならば、経営者など要らないのです。
どこかで薄っすらとお感じのことと思いますのでハッキリと申し上げるならば、国や自治体、政府系金融機関などからの制度的な支援というのは、あくまでも援護射撃、後方支援でしかありません。
これはあくまでも最前線での戦いやすさの違いこそあれど、戦い方、それ自体は、経営者、リーダーである“あなた”が決めなければならないことです。
当然のことながら経営判断というのは、常に矛盾をはらむことです。あちらを立てればこちらが立たず。そんな挟間にあって、どう決めるのか、何を指針とするのか、何を重んじるのか…、これこそが経営における“哲学”です。
この経営哲学があれば「迷わない」などと教科書的なことを申し上げるつもりは毛頭ありません。迷うし、悩むし、苦しい…、そのお気持ちは痛いほど良く分かります。
だからこそ、今、ご自身の“哲学”について、しっかりと確立させようとする覚悟が欠かせないのです。
経営哲学、経営理念、使命感…、こういったことが単なる「キレイごと」に聞こえるならば、それは死期せまる判断を下したことが無い証拠です。いつまで判断を他人に委ねていこうとお考えなのでしょうか。
この先、しっかりとご自身の足で立ち、従業員を守りながら、生き延びていこうと真に願うならば、経営者として独自の“哲学”を確立することが大切です。
そして、困難にあってこそ、この哲学に基づいてぶれない判断を下し続けていくことが重要です。
ご自身で、本気で判断を下そうとしていますか?
そのためにご自身の“哲学”を確立しようとしていますか?