【第250話】豊かな成長を遂げていくための原動力

大変尊敬している経営者のスマホには、これまでの成長の軌跡である売上実績と、これからの売上目標が刻まれています。あえてデジタルの文字を「刻まれている」としたかといえば、それは本気で考えて刻むかのごとく記されているからです。ですから、その信念の数字は、10年以上に渡って時期を前倒ししながら達成されています。

 

一方、「〇年までに売上△億円」、「〇年までに全国△店舗」といったことも、多くの経営計画を拝見する中で目にする数字であり、目標の掲げ方としていわばお約束化されているとさえいえる表現方法です。

 

ちなみに、仕事柄、多くの経営計画を拝見したり経営発表会をお聞きしたりしますが、その際、この目標が達成されるであろう、あるいはこのままでは難しいだろう…ということは大方察しがつくものです。

 

ところが、大抵の計画が計画どおりに進まない中にあって、しっかりと目標を達成していく経営者たちがいます。感覚的には10人に3人、特筆すべきはさらに一気に抜けて行く経営者が20人に1人ほどいらっしゃいます。

 

こういった達成力ある方々とお会いしていて切に感じるのは「目的意義」の違いです。ここで“違い”とは、どこから見ても誰が聞いても立派な「目的意義」が語られているということではありません。その経営者らしいカラフルな「目的意義」が語られているかどうかということです。

 

実際、とあるIT企業の社長は「システムエンジニアのための城を創ろう、開発ラボ構想」を掲げ、人材の流動性の高いIT業界にありながら、自社サイトで人材を集い、様々な苦労と楽しみを増やしながら、お客様への貢献を増やし毎年40%の高成長を遂げています。

 

当然のことながら、企業が豊かな発展を遂げていこうとするならば、そのための原動力が欠かせません。この原動力となる部分が「目的意義」です。

 

少し聞きたくない現実をお伝えすれば、株式会社は株主のものです。会社の中に棲み働く従業員のための器ではありません。経営者とて株主からの依頼を受けて経営を代行する関係、いわゆるプリンシパル・エージェント関係にあるだけです。

 

このことから考えれば、従業員は株主のために働いていることになります。株主のためにお客様に頭を下げる…、これが仕事ということになってしまいます。

 

これはある意味、“カイシャ”という器、法人、法律上の人格は、意志を注入せず放っておいたならば、株主の資本を増殖するための錬金マシーンでしかないのです。

 

面白いのは、「そうはなっていない」ということです。構造的にはそうなのに、そうはなっていない…、何とも不思議なことです。

 

この理由は実に単純です。先人たちが、企業が単なる錬金マシーンに堕ちないように意志を注いできたからに他なりません。

 

それは、働くという努力に「目的意義」が与えられてきたからに他なりません。特に日本企業は会社に棲み働く者自らが、誰かから与えられるのでもなく能動的に働く「目的意義」を見出してきました。

 

こういった視点で、店舗数、売上高…といった目標を見てみると、いかがでしょうか?

 

何とも空虚で物悲しく聞こえてくるはずです。目標が目的化してしまっているからです。経営数字というのは経営成果を測る上で極めて大切な指標として目標になり得たとしても、数字という情報量でしかないために、それだけでは人の心が動かないのです。それだけでは心が躍らないという意味で「目的意義」としては足りていないと言わざるを得ません。

 

昨今、働き方改革といった掛け声の下、経営側と労働側の溝が深まっています。本来、同じ「目的意義」のために集う者たちであるはずの関係が、目標達成のための労使契約に堕ちようとしています。

 

経営者には、こういった風潮に負けることなく、ご自身の言葉で働く「目的意義」を叫んで頂きたいと願います。今一度、法律、制度、ガイドライン…といったことに依らない、人として、経営者としての本気を叫んで頂きたいと切に願います。

 

その上で、こういう数字を達成していくことで、みんなの生活維持と次なる挑戦余力を生み出していくと「説明」することが大切です。

 

経営計画を目的意義から考えていますか?

数字は目的化せず目標になっていますか?

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