【第140話】掲げた大義にチカラを宿し商売を伸ばすための条件

「私は世の中を幸せに、この地域を元気にしたいんです」といった壮大な志をお聞きすることがあります。この志自体はとても素晴らしいことだと思います。幸せに、元気に…、誰しもみなそう望んで頑張って働いています。

 

ところが昨今、こういった志をお聞きした瞬間に違和感を覚えることが多くなってきました。素晴らしいはずの志なのに、なぜ違和感を覚えるのでしょうか。

 

社長の仕事というのは、世の中で最も夢や理想を語るべき仕事だと考えています。そうであればなおさら、こういった壮大な志をお聞きしたならば、奮い立ち胸が高鳴ることがあっても、違和感を覚えるようなことはないはずです。

 

ですが、明らかに違う…。この違和感、みなさまもお感じになられたことがあるのではないでしょうか。

 

度々こういったことがある中で、道を歩いていた時に募金をお願いされた際、“寄付”の構図が頭に浮かびました。

 

“寄付”とはそれ自体素晴らしい取組みです。「世の中にこういった状況や目指す姿があって、その状況を改善したり実現したりするために、資金の提供をお願いしたい」といった文脈でお願いされるのが“寄付”です。

 

もっと簡単に言ってしまえば、「趣旨に賛同しておカネを出して欲しい」ということです。“寄付”によって成り立っているような活動の多くは、社会福祉、教育、お祭りなど、社会的に意義のある重要なことで、“寄付”という手段そのものが否定されるべきものではありません。

 

ですが、ビジネスの世界で生きる社長が、本業で“寄付”頼み…であったならば、これは如何なものかと言わざるを得ません。

 

我々が生きるビジネスの世界は、お客様からおカネを頂いて成り立っています。このおカネは、お客様に対する価値提供の“対価”としていただいているものです。

 

ただし、事業には大義があり、単なる金儲けではありません。ですが、この大義は、だれ彼構わず広く賛同を得るためのものではありません。もっと自主的で内発的な挑戦として描いたものです。

 

ビジネスにおいて、事業の大義に共感いただき、お客様から賛同をいただくことは大切なことです。そうなのですが、これは“寄付”を集めるようなものではありません。価値創造への努力の“対価”として売上・利益が得られるのです。

 

こうして考えてくれば、違和感の正体が何であったかが分かってきます。大義だけでおカネをもらおうとする行為は、“寄付”を募っているのと変わりません。これは、決して創造活動としてのビジネスではないということです。

 

創造活動としての製品・サービスの提供を通じて、お客様や従業員の幸せを実現し、その先にある大義を成していくことに挑戦している…。それが、ビジネスの世界における大義です。

 

これは、大義に賛同を得て“寄付”をもらって、それで活動していく…のとは違います。ビジネスとは、まず創造活動に投資し、そこから生まれてきた製品・サービスという価値提供を行い、その結果、お客様から売上・利益をいただく、とても挑戦的な活動です。

 

具体的な製品・サービス、その価値創造への地道な挑戦的努力を欠いたまま、大義への賛同だけで売上・利益を求めたならば、それは“寄付”をお願いしていることになりませんか…ということです。これではビジネスと呼べません。

 

社長として、本当に立派なこととは何でしょうか。だれ彼構わず広く賛同を得ることでしょうか。賛同が得られれば売上・利益になるのでしょうか。

 

自ら掲げた独自の大義の実現に向けて、積極果敢に創造活動に取り組むための投資を行い、価値提供の“対価”としておカネをいただくことで投資を回収する。同時に、お客様からの購入という賛同を得ることで大義を実現していく…。

 

収益を“寄付”としてもらおうとするか、“対価”として創ろうとするか、同じような大義を掲げていたとしても、チカラの宿し方は天と地ほどに違ってしまうのです。

 

御社に入ってくるおカネはしっかりとお客様からの“対価”になっていますか?

掲げた大義は、“寄付”集めではない内発的な挑戦になっていますか?

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